昭和五十六年四月四日 朝の御理解


御理解第七十節 「人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ」


 金光教の信心にご縁を頂いたこと。とりわけ合楽の皆さんの場合、合楽で合楽理念の勉強・研修をさせて頂いて、いよいよ金光教の信心が成程万物の霊長としての値打ちある、言わば価値ある信心と申しましょうかね。ですから、霊長としてのその値打ちをいよいよ身に付けていくということを楽しみに信心が出来るおかげを頂かなければ。
 この例えば御教えを頂いただけで、金光教の信心が私は名教といわれる値打ちを持っておる御教えだと思うんです。ただおかげを頂くというか、御利益があったと言うだけではどんなに考えても道理に合わない。とくに天地の道理にもとる。まあ私共から思いますと実にいかがわしい感じの宗教がたくさんある。そういう言うならばおかげさえ頂けば何様でもよい。何というどんな宗教でも良いといったような考え方から、はっきり金光教の信心がいかに万物の霊長である価値を、いよいよ道理に合う生き方を身に付けて、確かな間違いのない信心を頂いておるという一つの自負のようなものが各々に出来なければ駄目だと思う。
 どうでしょうか。ただ拝んだり、参ったり、お願いをしたり、おかげを頂いた。どこが金光教の信心が道理に合い、また金光教以外の信心が素晴らしいようにあって、また同じように思えておって、そういう違いというものをはっきり見極めてから打ち込んで行かなきゃならん。だから、打ち込めば本気で打ち込もう、本気で金光教の信心を身に付けようと思えば、金光教の信心の素晴らしさというものを勉強しなければならない。
 昨日梅の実会でした。昨日梅の実会に若先生が必ず出てくるんですけれども、何か図書館からか何か借りてきておる御本がございます。これを持ってきておりましたが。「宗教は生きている」という厚い本でございました。私は目が薄いから分からんけれども、見出しの所をバラバラと見せて頂きましたが。
 沢山のその言うならば生きていることは御利益が受けられると言う意味でしょうね。御利益の受けられる宗教というのでしょう。写真が色々出ておりましたが、言うならば拝み信心的というでしょうか、言わば御霊様が助かってはござらんとか、かかってござるとか
、まあとにかく私共から言わすれば、まあ愚にもつかないような感じですけれども、何かそれで助かっておるという事実が。だから、沢山の信者を擁して、その宗教が成り立っておるという。
 宗教というもの、また生きた宗教、生きた活動、生きた働きを表わす宗教、それはそれで沢山の人が助かっていけばそれで良いですけれども。人間万物の霊長としての値打ちのあるものを頂いておる者がする宗教では一切ないということを分かったら、まあそれこそ真の信心を求めなければおられないであろうと思うですけれども。結局、御利益に眩感されておるということ。まあ私に言わすれば、様々な人を様々の人が助かりませんならんので、まあそれこそ天地の親神様の大きな御演出というか、トリックというか、様々な言わば不思議を見せながら立っておる宗教でございましょう。
 金光教の言わば合楽で言う信心はどこまでもね、人間が万物の霊長としての値打ちのあるということは、その道理に合う信心だということです。あんたん方にゃ御霊様が助かっちゃないから御霊様の御用をしなさい、そうすっとその病気が治る。成程病気が治るかも知れませんからいいですけれども、それでは自分自身の心の助かりというものは何もないでしょうが。
 金光教の信心は、確かに四神様が仰せられるように、「病気直しの神でもなからなければ、災難よけの神でもない。心直しの神じゃ」と。心を改めて行く、改めて行けば行くほどに、確かなものが確かなものとして見えてくる。言わば道理が分かれば道理に合う生き方がせずにはおれない。そういう言うなら生き方を、言わば合楽理念に基づいて皆さんは勉強しておられるわけであります。
 ですから、言うならば合楽理念に基づく生き方こそ、まあ道理に合う信心である。そしてならおかげも頂く、お徳も受けて行けれる信心をはっきり自分で頂いて参りませんとね。言うならば、おかげさえ頂けば、御利益さえあれば何様でも良いといったようになりかねない。それではね、人間が万物の霊長としての人間が言うならばする信心じゃないような信心を、同じ宗教と言うておる。それをやっぱり信心と言っておる。
 まあ言うならば鰯の頭も信心からといったような信心が、世の中にあまりにも多すぎる。その中に、なら合楽でご縁を頂いて、合楽理念の勉強を身に付けながら信心を進めておるということが、本当に分かって参りましたら、もっともっと言うならば有難い生活が出来るおかげが頂けると思うのです。
 もう宗教とはどこまでも書いて字の如しであって、宗教の宗の字は、ウかんむりに示すとある。それを教えるのが宗教だと。ねえ。金光教の信心特に合楽の場合は、天地の親神様・宇宙が示す、神様が示して下さる御教え、それを皆さんに聞いて頂いておるのがいわゆる教えであるねえ。
 だから、本当に金光教の信心が素晴らしい。本当に合楽理念が素晴らしいということをもっともっと深く分かってもらって、人間が人間らしゅう生きる生き方。言うならば、人間が万物の霊長であればあるほどに、万物の霊長としての値打ちのある信心を頂いておる
という自覚がね、各々足りんのじゃないかと思うんです。おかげを受けられるというだけが私は合楽であってはならない。
 合楽では、どこまでも言うなら道理に合う信心を教えて頂いておるのだから、生活の上にも、道理に合う信心生活が出来ておるかどうかということを確かめないとね。ただおかげだけで眩感された、おかげだけで合楽通いをしておったんでは、私はいよいよ人間が万物の霊長だからと言われる霊長としての値打ちのある信心。合楽にご縁を頂いておっても、値打ちのある信心、値打ちのある頂き方をして行かなければいけないと思うんです。
 そして日頃の信心をずうっとこう思うて見てご覧なさい。どんなに考えてもおかしい。もうあらゆる宗教の様々な生き方があるからそれでいいようなもんですけれども。どんなに考えても道理に合わない生き方をね、でそれを宗教だ信心だと言っておる。そういう言うなら迷妄打破とでも申しますかね。真の信心を本当に樹立さしてもろうて、そういう信心から本当のいわゆる真の信心を目指させて頂けば、真の信心の徳が受けられる生き方を身に付け、そしてそれをまた人にも伝えて行かなければならない。
 信心と御利益というと、御利益さえ頂けば何様でも良いという、そういう何と言うですかね、節度がない信心から、私共は合楽の信心を頂いておることは有難いけれども、そんなら合楽の信心においてもです。道理に合う教えを頂いておるのですから、その道理を体得して、道理に合う生き方をしなければやはり同じだということですよね。
どうぞ。